赤いわたし


アマゾンブルーというフレンチな感覚のペールブルーの車と、パッションレッドという欧州車独特の

赤い車と、どちらを選ぶか悩んだ。

フレンチなブルーの車は、マットな塗装で艶を抑え上品な仕上がり。まるで白泥染を施したような。

そしてその色自体が独特な味わい。そして、そこへきて、ホイールがマットな鉛色のグラデーショ

ン。チェックのシートを合わせれば、小粋な上級者系のコーディネートのような、全体を通して

微妙な味わいの色グラデーションが、完璧で、汗を掻くほど悩んだ。


しかし、長いおつきあいの担当者の方も、初めて出会った受付のお嬢さんも、

私のイメージは赤だという。

車と並んで写真を撮っても、赤い車の横にいる時の方が、笑顔が本物だ。楽しい顔をしていると。

最後は、自分でも、この赤い車を選択することで自分らしく、自分に戻れると感じた。

契約をした後は、涙が出た。「自分に戻れる」その感覚で涙が出た。

こんな経験は初めてだった。




幼い頃からの写真を見ても、いつも赤いお洋服だった。注文服を仕立てる仕事をしていた母は、

いつも私の洋服をデザインして縫ってくれた。この写真の洋服は母のお手製。

赤い帽子も、赤いタイツも、赤いかごも全部、母のコーディネート。


写真の一番後ろに小さく写っているのが母。母も赤い洋服を着ている。



高校時代、当時流行っていた路上のロックンローラー。この洋服は、私がデザインをして

1週間で縫い上げた赤いワンピース。



20代後半、イタリア旅行に行った時の写真も赤。コートの下は、赤いセーター。

赤いパンツに赤い靴。この赤いスゥエードの靴はお気に入りで

同じ靴を2足持っていた。

赤いカバンの中には、赤い財布に赤い定期入れ。



30代の頃、海外出張が多く、その時も赤いリモア2つを持って、スーツケースの中からも

赤い靴や赤いカバン。そういえば、今年の誕生日も赤い服を着ていた。

赤色が自分に戻れる色のようだ。




今回、

赤い車を契約して自宅に戻り、ほっとしながら歴代の赤い車での思い出を振り返ると、

なんだか、辛かったこと、涙したこと、涙からの復活。

心を凍らせないと受け止めきれなかった時のことなど、そんなことばかりを

思い出した。


だから、新しくお迎えする赤い車では、楽しいことばかり思い出せる。

そんな暮らしを迎えたいと、そう生きると誓う。

自分らしく、丸裸の自分で生きると。


そして、幼い頃の写真の私、母のお手製の洋服を着て、真っ赤にコーディネートされた

この写真を見て、私の個性は母からのものでもあると。

初めてのお使いも、母のお仕事のお手伝い。この布地に合うミシン糸を買いに行くことだった。

町の仕立屋さんであり、デザイナーでもあり、お洋服の先生でもあった母。

今は、姑のようになった私。そんな母と娘の色々な、色々な。

優しくなろう。私。




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